やっぱりエッセイが一番読みやすい。
なんだか、物語形式のものだと途中で飽きてしまうので。
そんなわけで、またもエッセイのコーナーをふらつく。
フィーリングで手にしたタイトルの本。
後から知ったのだが、「すべてがFになる」の作者らしい。読んだことないけど、名前くらいは知っている。
中身は・・・エッセイなのかな。これ。私がイメージするものとは少し違うけども。
100個も節があるので、その中でなんとなく書き留めたいと思ったことを2つ。
以下感想のようなもの。
「貧乏人は金と言い、金持ちはお金という。つまりは、この差なのか」という節。
そうかもしれない。
ハッとした。
わたしはよくTwitterを見てしまう。
これを書くと誰かから怒られそうだが、自分の日常を綴っているTwitter、もはや吐き出しているTwitterはけっこうお金と言っていない。
金がない。金金金…。
金、と丁寧に扱わない人ほどお金が離れていく。
わたしもけっこう「金」と呼び捨てにしてしまっていた気もする。
なんとなく、お金が好きというのには抵抗がある。守銭奴みたく思われそうで。
ただ、実際にはお金があるとあまりにも良いことが多い。
本当はお金が欲しい。
お金のことを丁寧に扱っていなかったりするから、わたしは同世代に比べてお金が離れてしまっているのかもしれない。
お金を丁寧に扱っていこうと思えた。
これからお金を丁寧に扱うために、こういうことをしようかと思ってまとめてみた。
必要なものに使って、必要じゃないものに使わない。
お金を散財することは、お金を丁寧に扱わないこと。
お金に財布に来てもらうに当たって、汚い財布に入れない。
財布の外もそうだけど、中身も。カードとかぐちゃぐちゃにしとかない。
お金に来てもらいたい。そういう気持ちがあるのなら、はっきり気持ちを伝える。来てもらう努力をする。
…これはなんか少し違う気がする。
ただ、「守銭奴」みたいにお金を厄介者と思う気持ちは、いくら節約して規定内で暮らしていたとしてもそうは思わなくていいよね?
ある程度お金を規定内の範囲で使えていたとしても、お金をそういう厄介者扱いするのは違うよね。っていう。うまく言えない。
とりあえず、ひとつずつでもやっていこうか。
お金、には必ず丁寧に「お」をつける。これだけなら続けられるかもしれない。
2つ目。「栞、栞紐というものの存在が不思議。ページを覚えればいいだけなのに。」という節。
本の栞、栞紐なんか必要ないというのだ。
代わりにページ数を覚えてしまえばいいと。
いや、それは著者の頭がいいからできるのであって…。と思っていたが、ものは試し。この本のこれは!と思ったページの番号を覚えてみることにした。
意外にもこの本を読み終えて3日ほど経つが、記憶した数字を不思議と覚えている。
毎日、他にやることが無さすぎるからかもしれない。
脳みそを鍛えることにもなるのだし、これは結構良い取り組みなのではないかと思えた。
…この節を読んだ時に、おっ!これは!と思って無意識に付箋を貼ってしまったことには苦笑してしまったけど。
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