「東京貧困女子」明日は我が身でしかない。

 

図書館で「東京貧困女子」なる本を読んだ。

 

 

 

 

こういう本やネット記事は、どうしても将来の自分という気がして、見てしまう。

 

そこから記憶に残ったことを書き綴ってみる。

 

・国が貧困を作っている。

貧困が増えているのは、国の施策と相関性があるとのこと。

 

労働者派遣法ができて、非正規が増え、格差が広がる。

 

介護保険制度の施行。介護需要を満たすために、介護を民間に委任。介護は薄給なうえに、労働状況としては劣悪なところが多く、精神体力ともに疲弊して、ダウン。生活保護障害年金を受けてギリギリの生活を強いられることになる。

 

さらに、役所にも大勢非正規職員がいる。例えば、この本の中にも非正規の図書館司書の方がいたのだが、手取り13万。

 

女性に子供を産んでほしいと思っている国、自治体として、どうなんだろか・・・。

 

国がどんどん薄給の仕事を手助けし、さらには作り出している。

 

国は助けてくれないということを改めて思った。

 

・無理して働くと取り返しのつかないことになる。

無理をして働いて、結果うつ病だけでなく、語弊があるかもしれないがそれよりももっとひどい病気にかかってしまう人もいた。

 

脳脊髄液減少症というものになりいろんな箇所がうまく動かせなくなり薬なしでは喋ることもできない人。一年中寝たきりになって一年うちで外出する日が1日もないときもある人・・・。

 

生きていくためには無理をするしかないのだけど、無理をした結果思いもよらなかった病気になることもあるというのは、予想していなかった。

 

うつ病のその先を見た気がした。

 

・やっぱりこどもは作れない

子どもがいることで、無理をする結果になる人も多くいた。ならばやっぱり子どもは作れないな、と改めて思う。

 

相手もいないけど。

 

ただ生きる希望にもなっていることは、確かに見逃せない事実ではあるけど。

 

でも自分の希望の為に、子供を貧困の連鎖に巻き込むのは・・・。

 

・つながりを断つと、世の中の状況が見えづらくなる。

仲の悪い父と母が離婚し、住み慣れた地域を出ていった母娘。友達もいない、地域とのつながりもない、そういう方がいた。家賃のために住み慣れた地元から離れて暮らしていた。

 

インタビューした著者が言うには、この選択はどうだったのだろうか、と疑問視しているようだ。

 

つながりによって、人は生かされている部分もある。父も切り、友達という関係性も作らず、引っ越しによって地域との関係性も切る。

 

そうして人を遠ざけてきた結果からか、自分の社会での立ち位置が見えづらくなり、娘さんは分不相応な転職物語を描いている。

 

この娘さんの姿が私と重なった。

 

私は無職になり、父からの叱責を恐れて逃げ、関係から逃げた。友達もほとんどいない。さらに今、無職という社会的地位の低さや金銭面やどうでもよいプライドのために、友達やいろいろな方とのつながりを断とうと考えてしまっている。

 

薄いつながりでもよいから持ち続けていたほうがよいのだろうか。

 

ただ、人付き合いはぜいたく品だと思っている。大人になればそれなりのお店で食事をするのが常識というか、普通のことだ。コンビニでちょっと買って河原でだべるなんて、中学生みたいなことはできない。

 

つながりは持ち続けていたほうがいい、でもつながりを持つためのお金がない。

 

お金で繋がる人しかいないんだね、と言われそうだが、そうだとしてもやっぱりお金が多い方が関係が続けやすいのは否定できないと思う。

 

・まとめ

 

本当に明日の私でしかない人たちがたくさん出てきた。私もこうなるしか道が見えない。

 

無理をしたら、病気で働けなくなる。でも無理をしないと生きていけない。

 

どうしてこうも生きづらいのだろうか。

 

 

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