他人への苦手・嫌いという気持ちについて。ASDのどーでもいい考察。

 

たまに毛色の違う投稿がしたくなったので、ASDっぽい?どうでもいい考察を書いてみる。

 

 

いつだったか、だれかと話しているときに「○○さんが苦手」という話をしたことがあった。

 

そしたらそれを聞いていた人から「苦手っていうか、嫌いなんでしょ。いい子ぶんなくていいよ」ってなぜかイラつかれた。

 

まあ、イラつかれたのは別な要素が絡んでるのかもしれないけど、別にいい子ぶっているつもりはないし、ほんとに【苦手】と【嫌い】は違う気がする。

 

 

私は、他人に対して、【苦手】と思うことは死ぬほどあるけど、【嫌い】と思うことは少ない。

 

他人に対する【苦手】と【嫌い】は何が違うのか。

 

他人に対するネガティブな感情ってこんなふうに段階になっていると思う。

 

 苦手 < 嫌い << 憎しみ

 

【苦手】まではその人の部分的な要素を見ていると思う。「この人のこの仕事のやり方が合わないな」「こういうところがなければ、いいのにな」といった具合に。

 

【嫌い】以降にいくと、たぶんその人に対する人間性批判が入り、感情がより一層乗ってくる。「許せない」とか「そんなことするなんてありえない」とかちょっと強めの表現が入ってくるような、そんな感じ。

 

 

苦手

相手の部分に対する批判の要素が強く、感情的にイラついたり、がっかりしたりする度合は【嫌い】よりは小さい。

 

嫌い

相手の部分ではなく人間性全体に対する批判の要素が強く、感情的要素が【苦手】よりも大きい。

 

と、いった感じだろうか。

 

 

ひょっとしたら、無意識下で意図的に【嫌い】まで気持ちをもっていかないようにしているのかもしれない。というか、そんな気がしている。

 

発達障害って感情のコントロールが苦手と言われている。【嫌い】まで行くとコントロールしづらい感情の要素が入ってくる。仕事の支障になるようなものを無意識化で排除してくれていたのかも。

 

 

それか、【嫌い】という感情を向けるほどその人に興味がないという可能性もある。

 

ADHDも併発している私は物事に対してものすごく飽き性。苦手の積み重ねで、【苦手】→【嫌い】にシフトチェンジするものだと思うから、よっぽど継続的にその人に対するマイナス感情を抱き続けていないとなかなか【嫌い】にまでいかないということではないか。

 

誰かに対して感情をいただき続ける(=興味を持ち続ける)のはものすごくパワーのいることなので、私にはそんなパワー自体がないということなんじゃないかなー。

 

 

とにかく、【苦手】と【嫌い】は違うんじゃないか、ということを書いただけの記事でした。

 

こんなことしてる場合じゃないのにな・・・。最近先延ばし癖が・・・。

 

 

 

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