『サムライうさぎ』って漫画のことを知っている人はどのくらいいるだろうか。
2007年から2008年くらいにかけてジャンプで連載されていた漫画だ。
正直本編の内容はあんまり覚えていない。
あえて調べないで書いているけど、主人公のゴスケっていう侍が道場を守るために奮闘するっていう話。・・・だったかもしれない。
初期の頃はあんまりジャンプぽくない漫画だったように思う。ちょっと年齢層高めになれば響くようなことが描かれていたようなきがする。マセガキだったからそういうのが好きだった。
好きだったくせにあんまり内容覚えてないんだけど。(最後テコ入れでバトル漫画になっちゃって残念だったのは覚えてる・・・)
本編よりも心に刺さって今も手放せないでいたのが、本編の後日談を描いた特別編。
これのために赤マルジャンプ買ったらまさかのゴスケの娘が主人公でがっかりしたが、初めて触れる考え方に出会ってしまい今でも忘れられずにいる。
話のあらすじ。
さっきも書いたが主人公はゴスケの娘。
働きに出る年齢になって、飴細工屋に就職する。その飴細工屋に父であるゴスケのことを馬鹿にされ、見返してやる!とひとり飴細工修行に奮闘する…
んだけど。
これがものすごく不器用で父のことバカにしてきた飴細工屋には全然かなわず、へたっぴな飴しか作れなくて。
結局飴細工屋を見返すことができなかった。
ものすごく悔しくて泣いているところに、同じ長屋に住んでいる青年がかけた言葉が
『1日でも多く笑ってた方が勝ちだ』
確かに飴細工屋は手先が器用で努力しなくてもできちゃうから、食い扶持のためだけに日々つまんなそうに働いてて。
娘ちゃんはその青年の言葉にぐさっときて、お父さんと同じ道場を開くって夢に向かって笑顔で過ごすようになったって話。
「1日でも多く笑ってた方が勝ち」って考えにすごくびっくりしたのを覚えている。
読み始めは、飴細工屋をギャフンと言わせる展開が来るんだろうなと思ってたんだけど。最後までそんな描写はゼロ。飴細工屋が悔しそうにしてるとかそんな絵面は全くない。
でも最後に主人公は確実に飴細工屋に勝ってる。
勝たなくてもその経過が美しいだの、勝つまで頑張ろうだの、そんなことを言わないところがすごく良かった。
飴細工屋っていう小さいステージでは娘ちゃんは負けてる。だけど人生っていう大きなステージで見たら勝ってるのは、娘ちゃん。
今パッと思いついたんだけど、負け惜しみって捉えられてもおかしくないんだよね。これって。
でも、確かにそうだなぁと思える説得力があった。
ものすごく好きだから、語ってしまうとどうしても陳腐になってしまってとても悔しい。
いいんだ。いつかどこかではきだしたかったことだから。
サムライうさぎの最終巻にきっと載っているのだろう。
でも、やっぱり最初に読んだ時の感動は、最初に読んだ状態ででこそ味わえるような気がする。(感動って書いたけど、言葉で書いちゃうとなんか違うなってなるから不思議だ。この感覚を表す言葉を持ち合わせていないようだ。)
そんなわけで赤マルジャンプからこれだけ切り取ったものをいまだに捨てることができない。
まぁ、わたし毎日笑ってないから色んな人に負けてるけどな。
こうやって現実から目を背けて生きているような気がしないでもないが、これからもわたしはこの漫画のことを忘れられずに生きていくんだろうな。
負け惜しみと思われようが仕方ない。忘れらないものは忘れられない。
_______________________________________
と、ここまでが昨日まで書こうと思っていた、ブログ記事。
思いつくままに書きすぎたので、部屋にあった実際の本を見返してみることにした。
全然違う。
飴細工屋にかなわなくて、悔しくて泣いていた娘ちゃんに声をかけた青年の言葉は
「働いている時間って、一生のうちで寝てる時間の次に長いんだぜ?だったら楽しいことしなきゃ!」
うっ・・・(みぞおちに何か食らう音)
働くことに楽しいことなんかあるわけない。・・・
どうやら頻繁に見返していたわけではないから、かなり自分の中で改変されていたようだ。さすがに違い過ぎて、垂れ流すわけにはいかないと公開を思いとどまってしまった。
おおすじはあながち間違っていたわけではないのだが、感動した!って書いてる言葉がまちがってるからさあ・・・。
笑顔でいられる日が多かったほうが、勝ちとは言ってるけども。
最後みつき(特別編の主人公。ゴスケの娘)が、ね。
(つまんなそうに働いている飴細工屋を遠くから見て)「勝ち負けがあるとするなら、笑顔でいられる日が一日でも多かったら、私の勝ち・・・かな?」
とは言ってた。
何度も自分の部屋にある本を売ったり処分したりしてきたが、なぜかこれだけは捨てられなかった。
これまで捨ててこれなかったので、今更捨てるのもなんか悔しい。という変な意地もあるのかもしれないが。
みつきに感情移入してしまったのかもしれない。
みつきがすっごくいろいろな面で不器用。手先も不器用なら、生き方も不器用。
カッとなって、かなわない相手と無謀な勝負をしようと考えたりするところが他人には思えなかったのだろうか。
それとも。
みつきの回想で、こどものころにお母さんから言われた、
もし曇った空だったとしても、「一生懸命跳ねてれば、お月さまが照らしてくれるよ」
(これは本編見ると意味が通じると思うのだが、長くなったので割愛)
という言葉に、私も希望を抱いてしまったのだろうか。
この漫画を読んだとき私は16歳。人生の約半分この漫画を捨てられずにいる。
今回読み返してみて、年齢を重ねて手放しにすべて受け入れることはできなくなってしまったが、それでもなんでこんな漫画ずっと手元に置いてたんだろう、とは思わない。
じんわりと、心にしみるものがある良い漫画だと思う。
なんというか、小さいころに読んだものって忘れられないっていうそういう感覚に近いし、特別編というイレギュラーなものなので、単品でいろんな人におすすめできるものではないんだけど。
もしよかったら、やっぱり最終巻に特別編が収録されているようなので読んでみてほしい。
「サムライうさぎ」の本編の内容も思い出せないのに、特別編の内容を無駄な長文で書き続けているのはなんだか申し訳なくなってきたので、本編をちゃんと読もうと思いました。
金が、あれば、ね・・・。
なんでこんな長文で自分語りをしているんだ私は。
無職で暇だからか。